心理学の歴史

1879年、ヴント(Wundt, W.)がドイツのライプチッヒ大学に世界初の心理学実験室を創設しました。現代心理学ではこの年に科学的心理学が始まったと捉えています。

ヴントによる実験的方法では、実験条件を明確にして、基本的には人間に対してさまざまな刺激を与え、その時に経験される意識を被験者に報告させる〈内観法〉に基づいて、複雑な意識過程を心的要素に分解し、それらの結合法則を研究することで心の構成を明らかにしようとしました。

ヴントの心理学実験室には世界各国から研究者が集まり、学び、そこで得た成果を自国に持ち帰りました。日本からも1898年に松本亦太郎がヴントのもとで学びました。

現代の科学的心理学の発展にとってヴントの貢献は計り知れないものがありましたが、同時代に、研究方法をめぐってさまざまな批判も出ました。しかし、そうした批判が原動力となって、〈精神分析学〉〈行動主義心理学〉そして〈ゲシュタルト心理学〉が誕生し、現代心理学の源流を形づくりました。

精神分析学の創始者フロイト(Freud, S.)は、人間の心的活動のなかで意識が占める割合はほんの一部で、ほとんどは無意識が占めると考えました。

行動主義心理学を始めたワトソン(Watson, J.B.)は心理学がほかの自然科学と同等の科学であるためには、内観法ではなく客観的な観察や測定を用いて、意識のような内観過程ではなく、刺激(stimulus, S)と反応(response, R)という外から観察可能な行動を研究対象としなければならないと主張しました。

ゲシュタルト心理学はヴントの構成主義に批判を向け、ゲシュタルト心理学者のヴェルトハイマー(Wertheimer, M.)、コフカ(Koffka, K.)、ケーラー(Köhler, W.)たちは、心理現象全体は要素に還元できないと主張しました。こうした考えはケーラーの〈洞察学習〉(insight learning)や、レヴィン(Levin, K.)の〈場理論〉(field theory)を生み出しました。活動範囲を広げていったゲシュタルト心理学でしたが、研究者の多くがユダヤ人であったため、第二次世界大戦中のナチスドイツによるユダヤ人迫害のために多くがアメリカなどに亡命し、戦後、アメリカが(社会)心理学の一大拠点となる素地を作りました。

第二次世界大戦後、新行動主義心理学やゲシュタルト心理学、さらには人間の認知発達を研究するピアジェ(Piaget, J.)の〈発生的認識論〉(genetic epistemology)の研究成果を受けて、人間の認知過程を重視する〈認知心理学〉(cognitive psychology)が登場しました。

心理学の研究方法

ヴントによる心理学実験室の創設から現代心理学が始まったことを考えると、心理学において客観的データを得ることは心の解明・理解に不可欠です。心理学では、自然科学における実験の手法を援用し、さらには独自の研究方法を編み出してきました。

観察法は、研究対象の行動を観察する方法であり、自然的観察法と実験的観察法に分類され、後者を〈実験法〉と呼びます。

〈自然観察法〉は、観察実施状況にまったく制限を加えず、日常生活そのままで見られる行動からデータを収集します。

〈実験法〉は、研究対象に対して人為的に一定の条件を設定して操作したうえで行動を記録する方法です。操作を加えた対象者を実験群と呼び、操作を加えない対象者を統制群と呼びます。そして両群を比較することで、操作を加えた実験群の行動のみに変化が生じれば、その操作(刺激)が行動を引き起こした要因であると推論します。

〈面接法〉は、対象者と直接対面し、主に会話によってデータを得る方法です。この方法はさらに〈非構造化面接法〉(対象者との自由な会話のなかでデータを収集する方法)、〈構造化面接法〉(あらかじめ決められた質問方法や質問方法に沿ってデータを収集する方法)そして〈藩構造化面接法〉(質問内容の大半はあらかじめ準備されているが、詳細は面接過程で臨機応変に決めていく方法)に分類されます。

〈質問紙法〉は、対象者にあらかじめ印刷された質問紙(調査票)を与えて回答を記述してもらう方法です。質問形式によって〈自由回答法〉と〈選択肢法〉に分類されます。

〈検査法〉は、知能検査や性格検査などの、あらかじめ作成された〈検査〉を用いて、対象者の知能や性格、気分状態などを把握する方法です。